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学びのループ理論

ピーター・ドラッガーは「マーケティングとは何か」という問いに対して、シンプルにこう答えました。

 

「マーケティングの究極の目標は、セリング(売り込み)を不要にすることだ」。

 

ドラッガーは何もしなくても、売れ続ける仕組みをつくることこそが「マーケティング」だというのです。さすが経営の神様と呼ばれる方の言うことは深みがありますね。

 

では、同じように「教育とは何か」と問われたら、皆さんはどう答えるでしょうか?この問いは、学校の先生のものでもなく、塾のものでもなく、親が一番考えなければいけないテーマです。教育スタイルは家庭それぞれで違います。学校でも異なります。国によっても異なりますね。けれども、「教育の究極の目標は何か?」と問われれば、次のように答えます。

 

「子供たちに熱中できるテーマをみつけさせ、自らの解を自力で導き出せる人材を育てること」

 

その結果、子供たちは「一生学び続けるエンジンを搭載し、行動することで未来を切り開く人材になる」と思うのです。こう考えるには僕の原体験があります。大学3年生の時、阪神淡路大震災が起き、ボランティア活動を経験した時のことです。

 

叔父が西宮で被災したこともあり、まだ余震がおさまらず、けたたましいサイレンが鳴る中、リックに積み込めるありったけの食糧とガスコンロとボンベを抱えて西宮の街を歩きました。そこで見た景色は、まさに戦争を思わせる光景です。自分で手伝えることを何でもやらなければならないと本気で思ったのです。そういう理由でボランティアを始めました。しかし、ずっとボランティアをしている時間はありません。授業に出て単位を取らなければならないからです。しかし、その時たまたま受けていた「国際協力論」の国際NGO活動の話を聞いた時、背中に雷が落ちたような衝撃がありました。内容がボランティア活動の現場とオーバーラップしてくるからです。今考えると、僕の頭の中はアナロジーが働いていて、国際NGOの活動が被災地のリアルを変革するヒントに思えたのでしょう。

 

授業で学ぶ、現場で生かす。現場の疑問を教授にぶつける。議論が起きる。解決策が見えてくる。

 

この時程、知的興奮が湧き上がった経験はありませんでした。本当の学びと言うのは、実は教科書だけでは生まれにくいものです。むしろ、現場と教科書を行ったり来たりしながら、自分なりの答えを自ら導き出す瞬間から生まれるものだ、と僕は思いました。

 

教育改革のヒントは、現場と教室の「ループ」をどう生み出すか、です。社会人になって「もっと大学で学んでおけばよかった」と思うのは、仕事の現場とビジネス書の間に「ループ」が起こるからでしょう。では、子供の教育にどう言うループをデザインするか?

 

これこそが家庭の最大の教育的課題だと思う、今日この頃です。