2月17日に原宿THINK OF THINGSで行われた「あてもなく研究所」のイベントで、久しぶりにクロノス時間とカイロス時間について考えることがあった。ご存知の方も多いと思うが、古代ギリシアでは、時を一定に刻む時間を「クロノス」と呼び、一瞬のタイミングで、二度を訪れない偶然の機会を「カイロス」と呼んでいた。あてもない研究所では、偶然を楽しむ「カイロス」について探究していて、カイロストークを行ったのは、国士館大学で文化人類学を教える鈴木佑記さんと探検移動小学校主幹の市川力さん。お二人とも縁のある人だ。鈴木さんは上智大学で「エビと日本人」で有名な村井吉敬先生のお弟子さんだった。僕は龍谷大学で鶴見良行、中村尚司ゼミの出身で、村井先生も鶴見先生の弟子であり、共同研究者だから、同じ「鶴見派閥」ですね、と意気投合した。一方、市川先生とは時間があるごとにあてもなく東京を歩きながら、歩くたびに奇跡が起きる体験を共有している同志だ。だから、話を聞いていて、本当に居心地のいい時間だった。
ビジネス分野で偶然性の議論は「セレンディピティ」のキーワードに盛り上がったけれども、それ以降、際立ったコンセプトは見られない。一瞬、カイロスの効用に振り向いたけれど、クロノスの時間効率性の議論はパワーを増すばかりである。僕の見立てでは、クリエイティブ産業というのは一瞬のひらめきと偶然からアイデアを導いて、アウトプットで勝負する世界だ。だから、カイロス時間が流れている。しかし、昨今の「働き方改革」はクロノス的効率性で評価しすぎていて、このままでいくとクリエイティブ産業は弱体化していく一方のような気がしてならない。日本全体が「クロノスの囚人」になりつつある。
クロノスの囚人にならないために、僕らは何をしなければならないのだろうか?
僕は「歩く」ことが一番の解毒剤だと考えている。
あてもなく歩く、気の向くまま歩く。そこには無限の偶然がある。
その偶然と戯れることがカイロス人であり、創造性を高めるトレーニングになるはずだ。
クロノスの囚人たちは偶然というものを認めない。これが厄介だ。
必然を求め、その確証が得たいがために検証をやらないと居ても立っても居られない。
しかし、世の中のイノベーションやクリエーションやインベンションも、偶然を取り入れて起きたケースが多く、その事実を踏まえた時、僕らは「偶然性とどう戯れるか?」を真剣に考えるべきだろう。
しかも、クロノス的、効率ビジネスにつなげることを目的としないマインドもセットでトレーニングしないといけない。この二重の苦しみを理解しつつ、脱却の方法を日々考えている。