学生時代の思い出深い記憶に「地域の範囲をどう定義するか?」という中村尚司先生とのやりとりがあります。
 中村先生の講義では、「根元的」な話が多く、みんな先生の質問には悩みました。ある人は「市町村レベルの行政区ではないですか?」というと先生は「アジア地域だと国境も超えてしまいますねぇ」と言い返す。また、ある人が「小学校や中学校といった義務教育の範囲なのでは?」というと「それだと年齢にかなり限定されてしまいますねぇ」とやんわり切り返すという禅問答が繰り返されるのです。
 中村先生の考え方の基本は、国家を前提とせず、人と人との関係性を軸に考えます。だから、その答えはいつも面白く、眼から鱗でした。その答えはこうでした。
「スリランカの田舎で村長さんに地域の範囲はどこまでですか?と質問した時に、その村長さんが<私が「おーい」と叫んで人に声が届く距離>が地域になりますと答えたんです。わたしはそれが一番いい答えだと思いました」と。


 こんな記述を見つけたので、引用します。
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二十六歳でスリランカに行っていろんな村を訪ねましたが、村の境界がはっきりしません。どうして決めるのか、という質問をすると、「田んぼでうぉーっと叫んで、声の届く範囲が村です」という返事でした。声の大きさで村の大きさも変わります。ずいぶんいい加減な村なので地図を書くのに苦労しました。でも、声が届き、人間の助け合いができる範囲が村です。人の鼓膜にひびく範囲こそ人々の心が安らぐところであって、心は決して心臓の中にはなく、ちょっと外側にあります。心は人と人との間にあって、人と人との間を充実させることこそ人の営みです。たとえばノーベル賞をもらった文学がいかに優れていても、文学は人の声が届く範囲がいいのです。つまり一言で言うと、話し手の声帯から聴き手の鼓膜までのサイズです。
――中村尚司「循環と多様から関係へ」 エントロピー学会編『「循環型社会」を問う』
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 最近よくコミュニティについて考えているのですが、中村先生の「地域とは?」の問いがコミュニティの定義に当てはまる気がして、いつも考えを巡らしています。それは自分の声の届く範囲で、自分が責任が持てる人と人との関係のなかで、自分の出来る限りのことをする、それがコミュニティ・メンバーということなんだろう、と。
 僕は本も書かせていただいているし、たまにメディアにも出ますが、メディアを媒介とした距離感では、人は勘違いも起こすし、誤解も生まれますよね。だから、僕は出来る限り、コミュニティ内で、そのなかにいる仲間を大事にしたいし、人間が責任を持って関われる範囲は中村先生が言う「声の届く距離」なのではないか、と改めて実感するのです。
 僕は「人間はその範囲で提供できることを責任を持って全うするだけでよくて、自我を出さず、カッコつけず、過大評価もせず、メディアに出て誇張もせず、自分のやれることを見つめ直してコミュニティに貢献するだけで十分だ」と思うのです。

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