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個人のブランディングに関するメモ

2012年時点のメモより抜粋。

2012年のメモから抜粋しました。

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  1. 「いまは、やれ大企業だ、グローバル企業だ、大国家だと言っているけれども、そういうものが重要ではない。私の言っていることも、君の言っていることも、スウェーデンの学者の言っていることも、結局は、突出した個人にかなうものはない。そこまで来たのが二一世紀だ、ということだ」(大前研一)

 

  1. 「個人の時代」が勢いを増している背景には、「メディアのパーソナライズ化」がある。パーソナライズ化の波は15年周期で大きな波が到来すると言われている。80年代のパソコンの発明。コンピューターのパーソナライズ化。95年。ウィンドウズ95。個人がウェブでつながり始めた時期。10年、FREEあるいはMAKERS。工業化の個人化に突入した時期。

 

  1. さらにウェブで個人が簡単にマネタイズできるようになった。趣味でつくっていた作品のレベルが高ければ、世界中どこからでも売買が可能になる。楽天やアマゾンの出店サービスを使えば、個人商店がいつでも開けてしまう。

 

  1. とはいえ、会社をいきなり辞めてフリーランスになるのは危険。自分のアウトプットのレベルが高いだけで商売はできない。商売はそれを購入したい顧客がいないと成立しない。もし、フリーになりたいなら、まずは自分の商品の優良顧客を100名確保してからでも遅くはない。

 

  1. デフレの時期。勢いだけでフリーランスになるのは大変危険だ。私がおススメするのは、会社軸と自分軸の両輪キャリア・ブランディング。会社に貢献するビジネスの顔に加えて、もう1つ、本来の自分の顔をしっかりとつくっていく。

 

  1. 会社の給料で経済的な安定を確保し、自分の「夢」に向かって冒険する。そう云う時代。それが過渡期の戦略スタイル。

 

  1. 本来の自分の顔をつくる上で、大事なのがパーソナルメディアの活用。セルフ・ブランディングというのは、会社や学歴の暖簾ではなく、自分自身の価値をどううまく魅せていくか、を解決する方法。

 

  1. はじめは好奇心から何にでも挑戦してみることが大事。行動すること、そして下手でも形にしてみること。Wantedly代表の仲暁子さんは、ゴールドマンサックスを辞めた後、昔漫画家になりたかった夢を思い出し、半年間漫画を描き続け、出版社に持ち込んだそう。

 

  1. 彼女の信条は3つ。1)「行動が未来を築く」。2)「豊かな人生は大好きなことを行うことで膨らんでいく」。3)「新しい機会や挑戦を探すのを止めない」。

 

  1. 自分が何かを生み出していく主体、当事者としての「マインドチェンジ」が必要。消費する主体から創造する主体へ。ソーシャル・ツールを使いこなし、創造活動、表現活動を通じて形成される価値にこそ、今後個人が求めていく価値になるだろう。

 

  1. キャリア・ブランディングを考える上で重要なのは、「会社組織以外にも、ソーシャルなつながりで、あるいは個人で本当になりたかった自分に近づく選択肢が増えた」こと、そして「<ブランド企業の看板所有=個人の優位性>という古い概念から脱却し、人生をかけた長い意味での創造型キャリア戦略に切り替えよう」という意識変革だろう。

 

  1. 会社軸=Mission Oriented(使命依拠)軸。自分軸=Curiosity Driven(好奇心駆動)軸。このバランスをどうデザインするか、が課題。ワークライフバランスではなく、ライフ・ディメンション・バランスというべきもの。

 

  1. 凡人は会社軸(使命軸)でお金を稼ぎ、自分軸(好奇心軸)で趣味を極めようとするが、天才は軸が逆転する。手塚治虫がそうだ。ウィキペディアによれば、「手塚は自伝『僕はマンガ家』の中で、<そこで、いまでも本業は医者で、副業は漫画なのだが、誰も妙な顔をして、この事実を認めてくれないのである>と述べている」らしい。しかし、手塚治虫は使命軸では医師免許を取得したが、好奇心軸で漫画家となり、金を稼いだ。

 

  1. ロックスターのスティングも小学校の国語教師だったが、音楽に転向している。クイーンのギタリストのブライアン・メイは2007年には天体物理学の博士号を獲得し、同年にはリバプール・ジョン・ムアーズ大学の名誉学長に任命されたほど。キッスのベーシスト、ジーン・シモンズも小学校の国語教師だった。

 

  1. このような「軸」の複線化は、未来が確約されない過渡期の今、考慮すべきキャリア戦略の視点だ。それは自分の可能性を広げる投資でもあり、会社軸が突然なくなっても耐えられるリスクヘッジでもある。

 

  1. この軸の役割は、家族の可能性も広げる。もし、主婦が自分の得意分野を確立して、趣味で起業できたら、夫の会社が突然倒産しても、グラつくことはない。

 

  1. 大学で講義をしていても、会社の仕事でも、女性の優秀さを実感する。だから、女性はもっと賢く、小さく起業したらいい。女子が大学で勉強しながら起業して、スモールビジネスで家庭を支えるようになったら、日本は面白い社会になる。お母さんはおウチ社長で、お父さんは会社社員という女性優位社会への体質変換。

 

  1. 90年代にもてはやされたブランド論は、主に商品を扱うものでTVCMを軸にプロモーションや購入キャンペーンを通じて、如何に消費者の頭に商品情報を刷り込み、イメージシェアを高めることが目的とされていた。

 

  1. まだ、90年代はマス媒体が強い時代であり、テレビの時代だった。だから、テレビから多くのヒットが生まれた。視聴率の高い月9ドラマの主題歌に採用されれば、ヒットは確約されたようなものだった。

 

  1. しかし、ウェブの台頭で、メディアのパワーバランスが崩れた。ウェブの破壊力の本質は、国家の枠組みや距離を超えて、人と人とがつながりっぱなしになってしまったこと。そして、資本力を持っていた会社や組織でしかできなかったことが、個人で何でも可能になってしまったことだ。

 

  1. ウェブが更に日本の家庭に浸透し、ブログやSNSで個人メディアが増えてくると、企業の商品やサービスを対象としていた「ブランディング」の技法は、むしろ個人のニーズが高まり、大きな資本のPRではなく、小さな無数の個人PRの需要が生まれるだろう、と僕は予測した。2005年くらいの話だ。

 

  1. そこでまず個人のブランディングのノウハウが開発・実践できるレコード会社に注目した。商品部ランディングの手法をミュージシャンに適応させてみようと考えたのだった。そこで音楽業界でいち早くアーティスト・ブランディングと360°ビジネスに取り組もうとしていたエイベックスグループに転職した。

 

  1. ところが、人のブランディングは難しい。商品はしゃべらないし、感情がない。しかし、人はしゃべるし、怒りもする。それだけではない。昨日はやろうと決めたのに、次の日には意見が変わっている。これではプランが策定できない。

 

  1. ところがよくよく話を聞くと、クリエイターしか信じてこなかった人たちにデータを振りかざして自分を操ろうとするマーケッターをどうも疑っていたようだ。人の感情と言うものは厄介だ。尊敬できなければ、信用がうまれない。

 

  1. そこで自分が「ブランド」になってみることにした。サンプルとして。

 

  1. 僕はアーティストではない。けれども、文章を書くことであれば苦ではないし、企画を立てることは仕事で慣れている。そこで「出版」を目指そうと試みた。アーティストでたとえるとアルバムリリースだ。でも、そのまえにライブをやることにした。そう。僕の領域で言えば「講義」となる。

 

  1. 異業種勉強会というものに参加して、自分がこれまでやってきた仕事で得た既知をまとめ、それを勉強会でシェアすることをはじめた。すると思いのほか反響が大きく、その資料をまとめて、出版社に持ち込んでみた。すると、運がいいことに採用され、出版が決まった。これが東洋経済新報社の『HACKS!』シリーズだ。

 

  1. 異分野ではあるが、同じように本をリリースし、講演も行う経験と実績を通じて、仕事をするアーティストたちと話をする時に、共通する話題ができた。それは「アウトプットの受難」だ。

 

  1. クリエイティブな仕事をする人は誰もが悩み苦しんでいる。その苦しみをデータだけで無にしてしまうマーケッターは恐れを抱く存在であり、いて欲しくないものだ。しかし、苦しみを理解し、そこからもっと良くするアドバイスやプロモーションの方針を話合うことによって、信頼が生まれる。

 

  1. そうやって、膝を突き合わせて、こいつは悪い奴だと思われないようになった。人のブランディングはFace to Faceの信頼が基本である。

 

  1. こうして5年くらいかけて、アーティスト・ブランディングの方法開発と実践を積み重ねてきた。

 

  1. ブランディングは今、あらゆる業態や場面に必要な時代だ。地域復興にも必要だし、学校経営にも必要だ。

 

  1. いよいよSNSが台頭し、ウェブ接続時間がテレビをはるかに上回る時代になった。個人の時代が本格的に到来したのである。そういった時代環境を見極めて、レコード会社でアーティスト・ブランディングを専属でやることをやめた。もっと一般の人たちにもブランディングの可能性が広がってきたからだ。