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知の技法| academic skills(1)

Generative Learning

· 知の技法

オリエンテーション

 2020年「知の技法」を受講してくれた皆さん、はじめまして。

 半年間、講師をつとめます原尻 淳一です。客員教授に就任して8年目になります。

 どうぞ、よろしくお願いいたします。

 僕は今から28年前、皆さんと同じように龍谷大学経済学部に入学して、深草キャンパスで4年間を過ごしました。修士課程を含めると6年間、深草の郷で経済学(民際協力)を学んできました。だから、皆さんから見れば、僕はまさに先輩なわけですが、こんな変な先輩がいるんだ、と1つのサンプルとしてみていただければと思います。

 さて、僕が大学3回生の時に「阪神・淡路大震災」が起きて、関西地域は大変な事態に直面しました。僕はボランティア活動をしていましたから、あの時の神戸の東灘区の情景や西宮の叔父さんの家に食料を運び入れた時の記憶はいまだに鮮明に覚えています。人間は、危機に直面した時の記憶はしっかりと脳に格納できるようにできているのかもしれませんね。そして、今、世界規模で「新型コロナウィルス」が蔓延し、キャンパスでの授業は中止となりました。この事態は間違いなく世界史の教科書に載るレベルの社会問題です。人生は、いつ、何が起きるのか、わからないものです。しかし、こういう時だからこそ、学びをやめてはいけません。人間はいつでも、どこでも、学ぶことができます。そのことをこの授業を通じて、皆さんと一緒に証明できたらと思います。

学びの種を発見し、表現する授業

 本題に入ります。この「知の技法」で行うのは、「学びの種を自ら発見し、誰もがわかる形で表現する授業」です。小学校から高校まで、おそらく皆さんは教科書をベースにして授業をしてきましたよね。すでに覚えなければいけないものは決められていて、それがちゃんと定着しているか、テストで評価されてきたわけです。ですから、塾にも行き、ドリル形式で何度も何度も定着するまで勉強したのではないでしょうか?しかし、そのような勉強はもう必要ではありません。正しい情報を取捨選択し、効率的に解に導くような人材は、おそらく近いうちにAI(人工知能)に置き換えられるでしょう。ということは、これからの人間は何を学ばなければならないのか?

 それは簡単です。

 自ら不思議の種を発見し、それを解明し、表現できる創造的人材です。さらに既存の概念に縛られずに独創的な考え方ができる人材こそ、閉塞した日本には必要なのです。

 これから行う学びは「Generative Learning」と呼ばれるものです。Generativeとは、発生する、生成するといった意味で、学びたい知的好奇心が自然に、内発的に発生する学びと言えましょう。この学びの特徴は、学びのエナジーとなる「発見の喜び」と、それを「解明し、表現する」2つの学びの領域を連結する形で構成している点です。2つで1つ。これがポイントです。基本構造図を見ながら、詳しく見ていきましょう。

 このラーニング・モデルは、平安初期、真言密教を広めた空海が師匠・恵果から譲り受けた両界曼荼羅の構造と似ています。第1の学びの領域「みつかるモデル」は、緑色で囲まれている領域で、胎蔵界曼荼羅に対応しています。胎蔵界とは、曼荼羅研究者の正木晃さんの言葉を借りれば、「万物の子宮」です。母親の子宮から命が誕生し、育まれるように、自分自身の体験に紐づいた「学びの種」を見つけ、育むことが「みつかるモデル」の目的です。みつかるモデルは、歩くことをベースとしています。歩くスピードで、周囲を見渡せば、いたるところに<不思議の種>があります。この種を「発見」し、ユニークな仮説を生み出すことがみつかるモデルの目指すところです。

 一方で、「わかるモデル」は金剛界曼荼羅に対応しています。金剛界とは、さとりの世界へ誘うステップを論理的に記したものです。修業によって俗の世界から聖の世界へ移行するように、みつかるモデルで発見し、導いた仮説が正しいか否かを解明し、自らの論を論理的に表現するのです。わかるモデルは、育んだ仮説について先人はどう考えていたのか、書籍をベースに徹底的に調べていきます。そして、書籍で知った知識を融合し、さらに仮説を磨き上げていきます。さらに、その仮説を自分だけのものに留めず、誰もがわかる形で「解明」し、「表現」することが大事です。自分だけの枠を超えて、社会に貢献する姿勢が必要です。皆さん、もうお分かりかと思いますが、大学の授業やゼミナールは、「わかるモデル」が基本です。しかし、僕が危惧するのは、これまで高校まで受験合格が目的となってひたすら勉強してきた学生は、本当の意味で、自分が学びたい「不思議の種」を持ち合わせていない。これが大問題なのです。人に言われたことを効率的に覚えて、応用できるようにする癖が皆さんには無意識に染みついています。言い換えれば、ミッション(命令)を与えなければ起動しないロボットのような人材です。しかし、本来、人間は知的好奇心を持った生き物です。僕の授業では、知的好奇心を高めながら、一生学び続ける人になってもらいたい。そういう願いを込めて、しっかりと”学びの種”が「みつかる」プロセスを踏みながら、「わかる」楽しさを味わって欲しいと思います。

ロゴスとレンマ

 皆さん、聴き慣れない言葉かもしれませんが、「ロゴス」と「レンマ」という対比される考え方があります。これは晩年、龍谷大学で教鞭をとられていた哲学者山内得立(やまうちとくりゅう)先生の書籍のタイトルで、最近では、明治大学「野生の科学研究所」所長の中沢新一さんが『レンマ学』という書籍を出版し、ホットワードになっている言葉でもあります。

 ロゴスはギリシャ哲学で最も重要視された概念で、「語源的には<自分の前に集められた事物を並べて整理する>を意味」しています。皆さんがよく知っているロゴスは「論理的に語られること」の意味かもしれませんね。論理的であることは、「因果関係(原因と結果の関係)」が明快であることが必要です。ですから、ロゴス=因果の概念は「わかるモデル」で重視されます。

 一方でレンマは語源的には「事物を丸ごと把握する」意味で、「ロゴスとは異なる直感的認識がレンマの特徴」とされています。これはギリシャ的=ロゴス的ではなく、東洋的=仏教的であり、そこには「縁起の論理(あらゆる偶然が縁となって、意味が起き上がる)」が働いている、と考えられます。皆さんは街を歩いている時に、偶然面白いものに遭遇することがあると思います。その面白いものは計画して見出せるものではありません。偶然、見つかってしまった。そんな感じでしょう。皆さんが大学で学ぶ「種」もその感覚で、たくさん集めることが大切なのです。

 経済学部のカリキュラムでよくフィールドワークという言葉が出てきますよね。簡単に言えば、街に出て、街の人や店の人や企業の人にインタビューして、そこから社会問題を考えるものですね。しかし、フィールドワークには2つの種類があることを多くの人はわかっていません。それは「発見」のフィールドワークと「検証」のフィールドワークです。多くの場合、先生からお題やミッションを与えられて、「検証」のフィールドワークに終始しています。しかし、本当に大事なのは「発見」のフィールドワークです。その発見を導くのは「レンマ=縁起」の論理です。そこで大事なのは、「マジで何か見つけないと!」と焦らないこと。むしろ、なんとなく、いろいろなものに注意を払って、興味の赴くまま、好奇心が動く方向にただ歩く。これです。そこで「なんだこれ?面白い!不思議だ!怪しいくないか?これは大問題だ!」というものを直感で集めてくる。これを繰り返すことです。この「種」をたくさん集めれば、「これを探究してみたい」という気持ちが湧き上がってきます。それくらい歩いて「種」を集める。これに尽きます。

「知」図を描こう

 そこで皆さんに本格的にオンライン授業が始まるまでに課題を出したいと思います。それは「知図」を描くことです。サンプルを以下に掲載しておきます。

 これは僕が東京の八王子をフィールドワークした時のものです。あ、知図の説明を忘れていましたね。知図というのは、簡単にいうと、歩いた足跡がわかる地図を描き、その上に発見や不思議を絵に書いたり、文字情報で補強したマップのことです。ここにはシンプルなルールがあって、「知図」に載せる情報は、本で読んだ情報やググった情報を決して載せてはいけない、ということ。基本は歩いている最中に遭遇する看板やチラシ、出逢った人との会話などで構成するのがルールです。

街中にはこういった看板が実はたくさんあります。ここが情報の宝庫なのです。

看板が出てきたら、確実に情報を押さえておこう!

 「知図」を描くと、とてつもない効用があります。まず歩いた足跡が脳内に定着します。単に写真を撮って、インスタグラムにアップするのとは全く違います。これは実際やってみて、そこ効果を実感してみてください。描いている時に、歩いていた時の風景がありありと蘇ってきます。また、現場の詳細な情報は、教科書にもGoogleにも掲載していないものもあるのです。例えば、八王子市の富士森公園内にある浅間神社でもらった「浅間神社縁起」によれば、「昔から樹木が生茂る鬱蒼とした森で藤森と言われ、塚も藤塚と言われ文献にも藤塚と書かれていました。慶長年間の富士浅間神社創立後は富士森、富士塚と言われるようになりました」とあり、地名の表記は変更されたが、音としての地名は残っていることがわかります。

これは神社の本殿にあった資料。こういう資料はGETして保存しておこう。

 さて、話は横道にそれますが、レオナルド・ダ・ヴィンチのノートを皆さんご存知でしょうか?

 7200枚のノートが現存しているそうです。ここには人体解剖の絵や建築、舞台装置のアイデア、水の渦の研究、幾何学の研究など、現代科学にも通じるアイデアが記載されており、人類の宝と言われています。僕はこのノートをルネサンス時期のヨーロッパで見聞きしたダ・ヴィンチの「知図」だと考えています。この知図のおかげで、彼は素晴らしい作品を残せたのです。

*ロンドンの大英博物館では、ダ・ヴィンチのノート570ページをWEBで無料公開している。

「アランデル手稿」(The Codex Arundel)と呼ばれるノートは、

数学や物理学から光学、天文学、建築まで、その中身は多岐にわたっている。

http://www.bl.uk/manuscripts/Viewer.aspx?ref=arundel_ms_263_f001r

 ウォルター・アイザックソンによれば、ダ・ヴィンチのノートは実際には現存の4倍あったと言言います。改めて、考えてみてください。自分が集めた<不思議の種>と、それを解明するための仮説がぎっしり描かれたノートをあなたが28,800枚持っていたら…。それはすでに凡人を超えて、天才の領域に近くはずです。

文藝春秋から出版されたウォルター・アイザックソン「レオナルド・ダ・ヴィンチ」。これはぜひ読んで欲しい名著だ。

本書は現存する7,200枚のダ・ヴィンチ全自筆ノートに基づいて、彼の生涯と天才性に迫った傑作である。

ダ・ヴィンチを語る時、多くは「最後の晩餐」や「モナリザ」等の「作品」に着目するが、

本書が秀逸なのは「ノート」に着目した点である。この膨大な手書きのノートこそ、

レオナルド・ダ・ヴィンチを天才たらしめた「知の源泉」だからである。

 皆さんにぜひ読んでいただきたい名著に梅棹忠夫さんの『知的生産の技術』(岩波新書)があります。この本は、ダ・ヴィンチが主人公の小説メレジュコーフスキイの『神々の復活』で読んだ強烈な思い出から始まります。ダ・ヴィンチは「ポケットに手帳をもっていて、なんでもかでも、やたらにそれにかきこむ」癖があったと言い、梅棹さんは「わたしは手帳をつけることによって天才になろうとこころみたのである」と本の中で宣言しています。かっこいいなぁ。梅棹忠夫さんは本気でダ・ヴィンチの癖を盗み、先人を超えるメモやノート、写真を蓄積していたんです。そして本物の天才になった。彼は直感的に「知図」の効力を理解していたと思います。ですから、僕は皆さんに「知図」をたくさん描いて欲しいのです。

課題について

 さあ、そこで次の課題を行ってください。

 自宅の周りをなんとなく歩き、「なんだこれ?面白い!不思議だ!怪しいくないか?これは大問題だ!」というものを集めてきなさい。(*三密にならないように。人との接触は避けてください)

 その際、スマートフォンでしっかりと、その対象を写真で押さえておくこと。そして、自宅に戻ったら、スマホの写真をみながら、歩いた足跡を描き、遭遇した対象の絵を書き込み、そこにどこが不思議なのか、何が面白かったのか、感想を書き込んで「知図」を作成しなさい。(この時、情報をググったり、本の情報は載せてはいけません!!)

<参考サンプル>

大学生と高校生の僕の娘たちに、近所を歩いて、知図を作らせてみました。このレベルで構いません。絵は下手でも書くこと!では!

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